第2回 「バードマン」(2014)アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
「リーガンは飛んだのか?落ちたのか?」
はじめまして、今さら映画レビュアー ねこぐすです。
はてなブログでは、「今さら観たの!?」な映画のレビューをときどき書いていこうと思います。
※ネタバレが嫌な人はブラウザをそっと閉じてください。
今日はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バードマン」(2014)です。
アカデミー作品賞などを受賞している作品なので、観た方も多いのではないでしょうか?
ただ、アート要素が強いので、人によって好き嫌いがハッキリ分かれる作品だとも思いました。
私にとっては、好きな作品でした。
まず、この映画の特徴は何といっても全編がワンカットに見える撮影手法でしょう。
ちなみにカットというのは場面の切り替えのことです。
例えば、下のようなシーンは4カットです。
要するに、ワンカットというのは場面の切り替えがないということです。
つまり上のシーンだと、①の遠景を写しているカメラがAに寄って②のアップ、そのままBに移って③のアップを撮り、また離れて④の遠景の場面というように、切り替わりがなく、ひとつなぎのシーンになります。
この作品では、これをさらにハンディカムで撮影しているので、ドキュメンタリーのような緊迫感と臨場感が出ています。
ストーリーは、昔人気俳優だったリーガンが過去の栄光と周りの評価に葛藤しながら、自分の答えを見出していくという話です。
劇中には、「ただただ役者という職種が嫌いで、作品も観ずに酷評してやる!」
という、観ているこっちも腹が立つような批評家が出てきます。
この批評家は、公演のあと「無知がもたらす予期せぬ奇跡」とリーガンの舞台を講評しますが。
これも、言い換えれば「まぐれで奇跡の好演ができた」と皮肉っているだけです。
まあ、この時のリーガンはそんなことはもうどうでもいい状態だったので、関係ないですが。
そんな敵が多く、周りからの評価と過去の自分の栄光に苦しめられていたリーガンがとった行動は、
「何もかもを見下すこと」
自分はバードマンになり周りの人間や過去の自分を空から見下すことに決めます。
「20匹の小さなヒョウが、2頭の大きなライオンを笑った。」
と、役作りのときにつぶやくセリフからも分かります。
周りを気にしていた時は、自分が批評される側。
しかし今は、自分が周りを評価する側になったわけです。
これにより、本物の拳銃で自殺すれすれの迫真の演技をやってのけるのです。
そしてラスト、場所が変わり病院で目覚めたリーガンは、舞台の評判が良く、家族のフォローがあったにも関わらず、バードマンのように窓から飛び出すのですが。
この後のリーガンがどうなったか?がハッキリ分かるシーンはありません。
それを知る唯一の材料は、娘サムの目線と表情だけです。
人によって意見が分かれるところですが、私はこう考えています。
「リーガンは超能力で空を飛んだ」
これには、理由が2つあります。
1つ目は娘サムの直前の様子と、ラストの窓から投げかける目線と表情。
病院のシーンではサムは完全に父リーガンと和解しています。
父の好きだった花を買ってきたり、2人が抱き合うシーンもあります。
そして、父が窓から飛び立ったことに気づき、窓の下を見ますが、表情が崩れることなく目線が上に向いていきます。
2つ目、リーガンは超能力で本当に飛べる。
リーガンは超能力が使えるという設定から始まる本作ですが、その能力はポルターガイストのように触れていない物を動かせるというものです。これだと、偶然やスタッフのミスで起こる可能性がありますが、唯一オープニングの空中浮遊に関しては説明が出来ません。
トンデモ回答のようですが、これが私の回答です。
にしても、意見が分かれる映画っていいですよね。
観た後は疲れますけど、他の人のレビューを見て、自分との違いも楽しめますし、最高でした。
あと、個人的にラストのリーガンと娘サムの会話シーンは最高でした。
以上!
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