第4回 「ファイト・クラブ」(1999) デヴィッド・フィンチャー
「主人公の名前は???」
はじめまして、今さら映画レビュアー ねこぐすです。
今回も「今さら観たの!?」な映画のレビューを紹介していきます。
※ネタバレが嫌な人はブラウザをそっと閉じてください。
今回はデヴィッド・フィンチャー監督の「ファイト・クラブ」(1999)です。
D・フィンチャー作品の中でも評価の高い本作。
観られた方も多いのではないでしょうか?
この映画は、私の価値観をひっくり返してくれたお気に入りの作品でもあります。
ストーリー
さて、本作のあらすじは、
仕事や日々生きることに虚無感を感じている主人公が、自分とは真逆の性格の男と出会い自らを変えていくという話です。
主人公が出会うタイラー・ダーデンという男は、映画の合間にポルノの1コマを入れたり、レストランのスープにおしっこしたり、とにかく自由奔放で世の中に反抗している人間です。
消費社会の奴隷となっている主人公とは正反対です。
タイラーと設立したファイト・クラブは、日頃のうっぷんを晴らす場として入会者が増えてどんどん巨大な組織になっていきます。
始めは自分自身とごく限られた人間だけが暴力をふるう場だったのが、エスカレートして社会にまでその影響が及ぶようになります。
それを危惧した主人公はタイラーを止めようとしますが、タイラーが自分自身であることに気づきます。
街の高層ビルを爆破する計画が完成される直前に主人公は拳銃で自分自身を撃ち抜いてタイラーを食い止めますが、爆破は止められず、崩れゆくビルをマーラと共に眺めて終わります。
この作品の凄いところ
本作には、人生において避けて通れない問題が至る所にちりばめられています。
・大量消費社会に生きている人間の虚無感
・他人と真剣に向き合うこと
・暴力をふるった人間がどうなるか
・人間の成長 などなど・・・
大きなテーマとして、消費社会に生きる人間の虚無感について描かれていますが、その他にも様々なことを教えてくれる映画です。
自分の話をちゃんと聞いてくれるのは、死が迫っている人間か、同じ悲しみを持っている人間だけとか。
人を殴ると殴られた人間はどうなるのか。
過激な暴力描写が問題になり、日本では一部カットして放映されたようです(DVD版ではノーカット)。
あと、少年の暴力を助長すると問題になったそうですが、私はそうは思いません。
この映画を観たら、暴力のもつ怖さや虚しさが分かるからです。
また、そこに目をつむっていては感じられない人間のもっている暴力性があります。
マーラとは何者なのか?
彼女とはがん患者の自助グループで出会います。
日々生きていくことに虚しさを感じ、自分という存在を認めてもらいたいという承認欲求をもっています。
これって、現代に生きる私たちと似ていませんか?
SNSでたくさんの人と繋がる社会に生きていても、自分の話を親身になって聞いてくれる人なんてほとんどいない。
生きることにうんざりしながらも日々生きていく私たちに。
そして、彼女は主人公にそっくりです。
主人公が毛嫌いしている弱い自分と全く同じです。
もうお分かりですよね?
つまり、マーラ・シンガーとは、主人公の嫌いな自分そのものであり、主人公が彼女を嫌っているのは自分自身の嫌な部分を彼女に見ているからです。
物語が進むにつれて主人公はマーラを受け入れ、最終的には手をつないで終わりますが、これは、自分の嫌だった部分を受け入れていく過程に他なりません。
本作は彼が成長していくというテーマも盛り込んでいるのです。
改めて、タイラーとは何者なのか?
改めて、タイラーを考えてみましょう。
タイラーが主人公の理想の姿であることは、先ほど言いました。
つまり、マーラとは逆の存在です。
主人公は、マーラ(ダメな自分)とタイラー(理想の自分)の間を行ったり来たりしながら、最も望ましい自分にたどり着くのです。
自分が作り出したタイラーという理想の存在に主人公が近づいていき、最終的に強さと自信を備えた自分になっていくというところは、意志の力で人は変われるということを暗に描いています。
また、ラストで主人公が自分を拳銃で撃ってタイラーを殺すシーンがありますが、タイラーは死んだのでしょうか?
私は死んでいないと考えます。
なぜなら、最後の最後でポルノの1コマが挿入されており、これはタイラーがまだ生きていることを表しています。
主人公は タイラーを殺したのではなく、取り込んだのです。
「タイラー良く聞け、俺は目を開いてる!」
と言って自分を撃ったのも、タイラーから教わった、「痛みから目をそらさないこと」に対する解答です。
これ以上ない自己破壊をやってのけることによって、弱い自分と理想の自分を受け入れ、新たな自分へと変貌を遂げたのです。
主人公の名前は?
本作では主人公の名前が一切出てきません。
エンドクレジットにさえ出てこないという徹底ぶりです。
これは、タイラーが同一人物であるということに対する伏線をはるためであり、観客が主人公に感情移入しやすくするための補助線にもなっているのですが、本当の主人公の名前は何なのでしょうか?
映画の途中に出てくる寓話の主人公ジャックという話もありますが、違います。
答えは「タイラー・ダーデン」です。
一般的に、多重人格は別人格として描かれます。
例えば「ジキル博士とハイド氏」では名前の違う2人の人間に分かれていますが、この物語でそれをやると、最後に別の人間を1つにするというような不可思議な結論になります。
あくまで主人公は現実の自分と理想の自分の間で葛藤する普通の人間で、物語上の名前はタイラー・ダーデンであり、この映画を観ている観客1人1人でもあるのです。
クライマックスシーンの賛否
ラストは主人公とマーラが手をつないで、崩壊するビルを眺めるシーンでこの映画は終わります。
この時の主人公は以前とは別人になっています。
部下からも慕われ、マーラに対して臆することなく接しているところからも分かるとおりです。
そして、窓から見えるビルが全て崩れた後で急に画面にノイズが入ります。
これは、2人のいるビルも崩れようとしていることを暗に示しています。
つまり、この後主人公とマーラ、そして部下たちはほぼ死んでしまうものと思われます。
とても、短いハッピーエンドですが、最高に美しいと思うのは私だけでしょうか?
以上、ざっと私見を言わせてもらいましたが、賛否両論あると思います。
納得できないこともあるでしょう。
しかし、人によって感じたことが違うというのは素晴らしいことであり、無理に統一する必要はないと考えています。
このブログを見て、「観てみたい」とか「また観たい」と思ってもらえればそれで十分です。
今回は以上。
それでは、また!
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