第5回 「ぼくを探しに」(2014) シルヴァン・ショメ
「あなた童貞? わたし処女なの」
はじめまして、今さら映画レビュアー ねこぐすです。
今回も「今さら観たの!?」な映画のレビューを紹介していきます。
今回からは2部構成で紹介していきます。
前半がネタバレなしで、後半がネタバレありです。
なので、前半を見て観たくなったという人は、1度映画を観てから、後半を見るといいでしょう。
さて、今回はシルヴァン・ショメ監督の「ぼくを探しに」(2014) です。
フランスのアニメ映画監督が実写映画に挑戦した本作。
とても、不思議で素晴らしい出来になっています。
シリアスとコメディ、そしてファンタジー
この映画が生み出す雰囲気は、とても不思議です。
シリアスが8割、コメディが2割、それをファンタジーが包み込んでいるような・・・
小麦粉と卵、砂糖を少々、ふんわり焼き上げればマドレーヌの出来上がり!みたいな・・・
・・・例えが微妙ですが、本当にマドレーヌのような映画でした。
ストーリー
主人公のポールは、2歳の時に両親を亡くして、そのショックで記憶を失い、言葉を発することが出来なくなりました。
今は、2人の伯母と3人で暮らしています。
伯母たちはポールを過保護に育てます。
食事や買い物をする時も一緒、たまにポール1人で外出する時は玄関にある黒板に行き先を書かなければなりません。
そして、毎日伯母たちが開いているダンス教室でピアノを演奏する日々。
捨てられない子供の頃のおもちゃと写真に、日ごとにお母さんへの想いが募っていきます。
そんな中、ふいにマダム・プルーストと出会います。
彼女はアパートの部屋の床を剥がして植物を育てたり、怪しげな商売をしているので、皆から疎まれています。
そんなマダムが作るマドレーヌとハーブティーには不思議な力があり、過去の記憶を呼び覚ますことができます。
ポールは、お母さんに会いたい一心でマダムにお金を払って、何度も過去の記憶をたどります。
そこには、大好きなお母さんと、そのお母さんに暴力を振るう怖いお父さんの姿もありました・・・
そして、両親の死の真相とは・・・
この映画のみどころ
①「起承転結」の「転」が3回訪れる
過去の回想と現実を行ったり来たりしながら、揺れ動くポールの感情が手に取るように見える。
ギョーム・グイの演技も実に見事です。
②ポールがしゃべらないので、感情移入しやすい
主人公に完全に感情移入した後は、①で言ったように、揺れ動く感情の波に乗って感動してしまう。
ちなみに、私は3回泣いてしまった。笑
泣ける映画が良いとか悪いとかは置いといて、ショメ監督の手腕が見事。
③音楽を交えた独特の雰囲気
これは観てもらう他ないが、回想では毎回コミカルな音楽が流れる。
これが、シリアスな映画の合間合間に挿入されることで、独特のテンポを与えて観ているものを飽きさせない。
Youtubeに回想シーンの1つがあったので、これを観てもらえばいいと思う。
私の好きなシーンでもある。
・・・にしても、邦題がダサい。
これじゃあ、借りるのも恥ずかしくなる。
原題は「ATTILA MARCEL」で、ポールのお父さんの名前だから、まあこれじゃあ売れないから改題しなきゃいけないけど。
個人的には「失われた時を求めて」のほうが良かったと思う。
理由は後半で言います。
前半は以上です。
先にも言いましたが、「感情移入」がこの映画を楽しむためのポイントなので、そうなりやすいシチュエーションを作るといいかもしれません。
例えば、好きな人と2人で休日の夜に観る、とか。
私は1人で3回観ましたが、皆さんには好きな人と2人で観ることをお勧めします。
それじゃ、ネタバレOKな人は後半へ。
さようなら。
ここから、ネタバレのありの後半です。
新訳「失われた時を求めて」
この作品はある有名な小説のオマージュであることは、観る人が観れば分かります。
それはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」です。
20世紀フランス文学の重要で偉大な作品と言われています。
なぜ「言われている」と他人事のように言ったかというと、原本を読んでいないからです。
読書が苦手な私が読めるような甘っちょろい作品ではありません。
全7巻で、ページ数は翻訳本にして5000ページ以上あります・・・
なので、Wikipediaから得た知識で、表面的なオマージュ部分を拾います。
この小説の有名なシーンとして、小さいころよくマドレーヌを紅茶に浸して食べていた主人公が、偶然大人になってから同じものを食べたときに、ふいに過去の記憶が呼び覚まされて回想する場面があります。
まさしく、この映画のマダムのマドレーヌと一緒ですね。あと、
「普通のマドレーヌよ、オレンジ風味はゲイっぽい。」
という、一見摩訶不思議なセリフは、マルセル・プルーストがゲイだったことに由来します。
そして、この映画の主人公の名前はポール・マルセル。
彼を過去にいざなうのはマダム・プルースト。
この2人を足せば先の小説の著者、マルセル・プルーストになります。
さらに、過去をたどって新しい自分を見つけていく、というストーリーも完全に一致していますしね。
小説を読めば、もっとたくさん類似点が見つかるとは思いますが、今回はショメ監督が「失われた時を求めて」に感銘を受けて、そのリメイクを作ったんだ、ということだけにしておきましょう。汗
映画のオマージュもたくさんありそうですが、私の知識不足で見抜けませんでした。
まだまだ勉強が必要ですね。
楽器の変化と心の変化
ポールが、今まで自分が弾いていたピアノが両親の命を奪ったものであることに気づいて、ピアノに縛られていた人生をマダムのウクレレに持ち替えて新しい道を進んでいくところは印象的でした。
両親の死や自分の過去を赦し決別する象徴になっています。
中国人の彼女と結婚して子供をもうけ、伯母のピアノ教室をウクレレ教室にしたのも、伯母からの自立を表していて、観ているこっちがスカッとする場面でした。
服装が堅苦しいスーツ姿からラフなアロハになったのも、新しいポールになったんだなあ、と思わせます。
個人的に好きなシーン
プロレスでお父さんとお母さんが戦うところです。
一歩間違えれば笑ってしまうシーンですが、主人公への感情移入の強さとそれまで抱いていたお父さんへの嫌悪感から感動してしまいました。
本当、シリアスとコメディの間で綱渡りをしているようです。
どっちに転んでもおかしくないぐらい紙一重です。
これは、ピアノがポールの両親を押し潰すシーンでも言えます。
絶妙なシリアス感を演出する脚本の巧さは凄いですね。
とまあ、いろいろ言いましたが、理屈抜きで観られる映画なので、観ておいて損はないです。
さて、今回は以上。
それでは、また!
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